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信州・高遠 花所
蓮華寺
東龍華院妙法山

女人成仏 永代供養

 女人成仏

    『法華経女人成仏』の教えにより、絵島様(江戸城大奥大年寄)も当山に安らかに眠っています。

 女 人 成 仏



絵島像
 
 作者
プロフィール
   彫刻家:西森方昭
       (にしもり ほうしょう)
  生年:1939年 (昭和14年己卯)
  生地:大阪府
 
絵島像縁起 (絵島二百五十遠忌記念)
   正徳四年(1714年)三月二十六日、大奥の優雅な衣裳を剥ぎ取られ、木綿着物に着替えさせられた絵島は、江戸に地を再び踏むことがない、永遠の旅路高遠へと出発する。絵島はこの日を境に栄達を求める人間から真の幸福を一心に得ようとする人間へと変わる。
 正徳の大疑獄(絵島事件)は、死罪二人・遠島追放・罪を受けた者千五百人を数える。この事件は、幕府内の権力争いと大奥改革が目的であった。その矢面に立たされ、犠牲者となったのが大年寄絵島である。
 しかし、絵島は非道と不条理に耐え高遠での生活は自己に厳しく、深く日蓮宗に帰依し、三十三歳から六十一歳まで二十七年間、朝夕一汁一菜魚類を絶ち、読経・写経を行う常精進の生活を送る。そのなかで、人生の悲しみを胸中深く抱き「真の幸福は己れの心に有る。」との確信のもと、次第に目覚めて行く。
 寛保元年(1741年)四月十日、散り行く桜と共にはかなくも力強く生き抜いた生涯を静かに閉じ、遺言により当山蓮華寺に埋葬された。その心は信仰に包まれその姿は仏様の様であったという。現在、県内外から女人成仏としての信仰を集めている。
 ここに絵島滅後二百五十年、女性の幸福とすべての衆生の現世安穏、後生善処を祈り、この像を建立する。

     平成四年四月吉日   蓮華寺住職 長谷川湛道

 
   
 
山里を染めて咲く 小彼岸桜
風を呼び 風に乗り 空に流れ行く
かなしい程に 澄んだ青空の中
はじけ散る 桜吹雪 春景色
いつ誰が名付けたか 高遠花嵐

山里の人は言う あれはあの女の
切なさと哀しみが 染め上げたのだと
道理を忘れた 恋におぼれた罪と
裁かれて落とされて 流された
あの女のはかなさを 飾る桜衣

山里に流された その女は絵島
美しい女ゆえの 恋の濡れ衣
女盛りの花を あきらめて手を合わす
山里の赤い桜 絵島の物語り
 山里の赤い桜 絵島の物語り
『風 の 桜衣(はなごろも)
(絵島二百五十遠忌記念ソング)
[非売品]
 YouTube動画
 

 
  作者
プロフィール
 
   手仕事屋きち兵衛 (てしごとやきちべえ)
   1949年12月31日 長野県松本市生まれ
   長野県彫刻工芸展の奨励賞を異例の20代で受賞する。
   1986年NHK新ラジオ歌謡で作家としてデビュー。
   同時にシンガーソングライターとしもデビュー。
   1987年徳間ジャパンよりファーストアルバム「詩紬(うたつむぎ)」をリリースし、
   以後、音楽活動を続ける。
   1992年にはサンフランシスコ市主催のコンサートに招待される。
   その後音楽活動としての表だった活動を休止し、木彫刻に専念する。
   1999年子どもたちの巣立ちを機に、音楽活動を再開。
   2001年夏〜秋にかけて、北海道から鹿児島まで20数個所でのコンサートツアー。
   ニッポン放送系全国ネットの人気ラジオ番組「テレホン人生相談」にもレギュラー出演。
   独特な言葉の表現や語り口は、聴く人の心を魅き付け、癒す。
   現在安曇野在住。 


 永代供養

  •    女人成仏の教えのもと、永代供養を承っております。
  •       
  •    諸事情により、身寄りがない、供養をしてくれる者がいない、などお困りの方、ご相談ください。
  •      
  •    女性に限らず、ご夫婦など、男性についても承ります。

 ご供養について
お 骨 女人成仏の像のもとに設えた、
永代供養墓に埋葬いたします。

絵島さまのお像に参拝し、
手を合わせてくださる方々が、
共に拝んでくださいます。
  
お 位 牌 花所・蓮華寺では、
永代供養のための、
さくらの花に彩られた
特製位牌をご用意しております。

 さくら蒔絵入り 本金粉仕上げ
そ の 他 お気軽にご相談下さい。 ご連絡先TEL:0265-94-2400

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